またどこかで

どうも、推しとのお別れの時が告げられたオタクです。

あらゆるオタク・ファンに対し一撃で致命傷を与えるとされる『大切なお知らせ』がついに公式から発せられてしまいました。

www.toei.co.jp

 

や、ヤダ~~~~~!!!

とは言ったものの青天の霹靂というわけではなく、過去のブログの感じを見てもらえばわかるように何となく予感はしてたのですよね……。

でもある日舞い込むかもしれない吉報に一縷の望みをかけたかった。

いざ突きつけられると、いや~完全につらかとばい。

だって昨日発表して今月末だよって。

あと半月だよ、心の準備をする間もないじゃないねえ。

面白いくらい全~然元気が出なくって困ってしまう。

勿論立ち直ったら楽しい思い出は語りたい、何時間でも語れるから。

今は隙あらば鼻水垂らして泣いてますけど。

 

なんで活休なのにそんな落ち込むの?休止なら再開はあるかもしれないじゃん。

そう思うよね。

でもオジサンね、公式HPが完全に閉鎖されるってことは"そういうこと"だって思うんだよ。

彼らが完全にインディーズ活動してたならまだ期待もするけど、会社に所属してプロジェクトとして結成されたユニットだからね。

ウッ……自分で言っててしんどくなってきた。

あ~これは元気な致命傷ですねえ。

だがこれだけは言わせてほしい!

本格的な男性バーチャルアイドルユニットの先駆けはエイトラなんだよォ!

 

今でこそVtuberがメジャーになって、生身の人がバーチャルのガワで活動することに理解がある世の中ですが、エイトラの時はまだそこまで一般的ではないやり方で。

バーチャルのガワに生身の人間がいます!なんて言っても理解してもらえなかった。

 

今回は混乱よわメンタルオタクが感情の整理をすべく自分語りをしましょう。

そうさオタクの得意技、隙あらば自分語り。

デフォルトでマイナス思考なので人の感情に引っ張られやすいよわメンタル仲間は読まないほうがいいわよ!

涙と鼻水止まらニヨン人。

 

 

好きなジャンルは1つに絞ってしまうともしもの時にダメージがでかい、拠り所は複数作っておけとは趣味・オタク界でよく見る意見ですね。

そしてごもっともだと思います。

一つのものに入れ込みすぎると危険が危ない。

好きなジャンルや作品は数あれど、自分にとってここ数年1番全身で推していたなあと思えるのがエイトラ。

過去形にしてしまうのはとても嫌なのだけど、こうしてお知らせが出てしまった以上ここでは『いた』と表現しますわよ。

今までのファン・オタク人生に於いて夢中になったものは数多、だけどここまで長い期間生活と密接に関係していたジャンルは無かったと思うし、

この先もここまで夢中になれるものに出逢うのってなかなか難しいような気もする。

あとは零くんの件があってから生身の人を推すことに躊躇いみたいなものもある。
好きな人が病気をしたり怪我をしたり、悲しすぎて辛くなってしまう。

まあそういうわけで私は代わりになるほど同じ熱を入れ込んでいたものがなかった、というか1番手を2つ並行するという器用な真似ができないタイプ故、

もしもの時が来てもダメージは変わらずでかいままで正面から喰らう羽目になり、ご覧の通り全く無事には済んでおりません。

実証!

 

 

私はドがつくほどの文系脳で理数系は愚か芸術方面もセンスがない。

勿論音楽に関してもペッソペソの知識しかなくて。

知識もなければセンスもない、そんなやつが凄いものを目の当たりにした時出てくる感想は大体『なんか分からんがすげー』。

文章問題で作者の気持ちは考えられてもAメロだとか裏打ちだとかは分かってない。

漢字は読めても楽譜は読めない。

ここにきて幼少期に姉のついでで習っていたピアノやソルフェージュが全く身に付いていないことが如実になり落胆のオチ。

拝啓我が両親、当時のレッスン代はお星さまになりました。

それでもエイトラの音楽が何だかとても良いものだということは数回聴いて割と早い段階で直感出来た。

あまり彼らを知らない段階でもその音楽は心地よく、なんだか耳触りが良い。

自らエイトラを知り、興味を持てたのは我ながらナイスだったなあと思う。

どんなに聴いても聴き飽きることがない音楽に触れたのは初めてで、こんな凄い人達がいるんだ、と感動するおたく。

その上歌詞や曲ができていく過程を見せてくれて、時にはデモ音源まで聴かせてくれる。

アイドルというジャンルではあるがちゃんとしたアーティストなんだ、と思ってますます興味が湧いたのです。

音楽に愛された人ってこういう人たちを言うのかなあ、と本気で思っていました。

これは今でも思っています。

 

そんな彼らとネット上で交流し、時には手紙を書き、ライブやイベントに足を運び日々を過ごすことはとても刺激的で楽しくて。

ツイッターの通知を初めて設定したのもエイトラで、通知音が鳴るたび急いでツイートにお返事を打ち込んだりしてた。

会社の所在地でしかなかった秋葉原が彼らの行動範囲の1つと分かれば、出勤さえも苦痛でなくなり。

時々同じタイミングで近い場所にいるのがツイッターで投稿された時は、今この瞬間、どこかにエイトラが居るんだと思うだけで世の中が輝いて見えさえした。

うーむ、まるで恋に落ちたかのような変貌ぶり。

彼らの音楽と人間性に惚れていたという部分ではある意味恋をしていたようなものだったのかもしれない。

特典に当選してメンバーと電話で直接話せたのも、とても貴重な体験だった。

アーティストと直接雑談する機会なんてそうそう無いと思うので……。

それまで知らなかったものに対する知識が彼らによって増えていくのも楽しかった。

数えるほどしか行ったことのなかった銀座が定番スポットになり、コンビニお菓子の新作をチェックしたり

紹介されたお店に実際足を運んでおいしいものも沢山食べた。

飲めないくせにワインの種類に興味を持ってみたりして。

 

1stライブでは本当に目の前で歌い話す彼らに『存在』を実感した。

ようやく夢が叶ったと涙する零くんを見て胸がぎゅうと締め付けられた。

少しずつファンの知り合いも増え、今でも付き合いが続く大切な友人となった人々も沢山できた。

フォロワーも自分も、エイトラとその音楽をより多くの人に知ってもらいたかったし彼らのことが大好きだった。

だから今までのジャンルではやったことがなかった所謂『布教』も積極的に行っていたような気がする。

毎日を楽しく過ごせて居心地の良いジャンルとなり。

それまで好きだったものがおざなりになるほどそのたった一つのジャンルにますますのめり込んでしまったのです。

 

応援し始めて1年あまりが過ぎ、この頃にはエイトラが自分の感情や生活に与える影響が随分大きくなっていました。

彼らが渡米を発表したときは結構ショックで、暫く立ち直れず毎日ベソベソと泣いて過ごしたほど。

二度と会えないわけでもないのに、突然今までの日常がなくなってしまうような気がして勝手に悲しくなっていただけなのですが。

それでもツイッターの更新はあるし時々は配信もしてくれる、確実に帰ってくるという確証があったからそれなりに前向きな気持ちで彼らを待つことが出来た。

その年の夏。

1stライブ上映会の数日後、零くんの病気休養が発表された時はなんだか信じられないような気分であまり実感がわかなかった。

活動を継続するエイトラと必ず戻ってくるという零くんの言葉を信じてなんとか前向きに過ごすことが出来た。

なんとなく、休養期間が明けたら戻ってこられるんだろうなと思い込んでいた部分があったような気がする。

実際病状や病名は明かされないままだったので彼がどんな病気と戦っていたのか知る由もない。

エイトラのもとに戻ることが叶わず零くんが亡くなってしまった時は本当に毎日が空っぽだった。

昼はなんとか普通に生活して、夜はずっと泣いて過ごした。

彼の逝去を知らせるツイートで止まっている零くんのアカウントは今でも気軽に見に行くことができない。

ファンよりも長い時間近くで過ごしてきた和斗さんや新音くんに対する心配が大きく、

もしこれでエイトラの活動が終わってしまっても受け入れる覚悟はしなければならないとどこか冷静な気持ちも芽生えていた。

ここで改めて活動を継続する決断をしてくれた和斗さんと新音くんには本当に感謝の気持ちしかない。

今思えば、この時にエイトラはこれからもずっと続いていくんだという根拠のない安心感が生まれたのかもしれない。

 

零くんがいなくなってしまっても曲を聴けないということはあまりなかった。

流石にラジオを聴き直すことはまだ出来なかったものの、PCやプレーヤーからランダムで流れるエイトラの曲は自然と受け入れることが出来ていたように思う。

人は声から忘れていくと聞いたことがあって、だったらできるだけ零くんの歌声を聴き続けたいと意識したのもある。

しかし暫く経ってラジオのアーカイブを聴き直した時、ああ零くんはこんな声でこんな風に笑うんだったと思うと同時にめちゃくちゃ焦った。

歌声は毎日聴いていても話し声の記憶が少しずつ薄れていたことが怖かった。

大げさでなく、あれからも1日だって零くんのことを考えない日はなかったのに。

こんな感じで無意識のうちに和斗さんや新音くん、彼らの優しい声や触れ合った手の温かさもいずれは薄れる日が来てしまうのかと思うと息が苦しくなる。

今は楽しかった日々が思い出されて辛くなるけど、やはり彼らの声は定期的に聴いていきたい。

 

活動再開をしたあともライブやイベントはあったしメジャーデビューもできた。

どれも楽しかったが、その反面2人が本当に心から楽しめているのか不安になることが増えていった。

日に日に減っていくツイート、長く続いたラジオの終了。

文字での言葉や声に触れる機会が減り、あれほど身近に感じられていたエイトラが少しずつ遠ざかっていくような気がした。

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和斗さんのツイート数

それまでは毎年触れられていたデビュー日やメンバーの誕生日がスルーされ、運営への問い合わせは返事がこなくなり、じわじわと嫌な予感が加速していった。

それまで弱音を吐かなかった和斗さんが何度か辛そうなツイートをしているのを見て、折れてしまう前に休んでくれと願うようになった。

それが出来なくて苦しんでいたのかもしれないけどね。

 

 

苦しんでいる相方に怒るわけがないのに、あの零くんが。

和斗さんが自分を追い込んでいるのを感じて文字を追うのが辛かった。

 

新音くんは加入してからいつも前向きなツイートをしてくれていたが、それも昨年秋頃から極端にツイートが減り

新年にアップされた動画では久々に声が聴けたものの、あまり元気がなさそうな印象だった。

新音くんが新しく話す声を聴けたのはこれが最後になってしまった。

和斗さんは10月のVtuber動画以来話している声を聴くことはなかった。

最後に彼らの声を聴きたかったなあ。

どんなことを思っているのかも、知りたかったよ。

期待をしすぎてはいけないということをエイトラを応援する上で何度も思い知らされた一方、彼らが時々予想を遥かに超えた驚きと楽しさをくれた。

だからいつからか、もしかしたら、に望みをかけてしまう妙な癖がついてしまった。

 

よく考えたら彼らのお知らせはいつも突然で急だったような気がする。

驚くファンの姿にしめしめと笑っている彼らがいつも目に浮かぶようだった。

今回もいつもどおりだと言われれば、確かにそうなのかもしれない。

だけど今回は終わりなのだ。

ファンが知りたいことはわからないまま、推しの口から聞きたい言葉の一つも聞けずに。

 

 

今の気持ちを自分なりに整理してみたが、寂しいと一言で表すにはあまりにいろいろな感情が忙しなく働いている。

寂しいのは確かなのだが、彼らへの感謝の気持ちや4年半が思いの外あっさりと終わってしまう事実に対する落ち着かなさ、もう一度くらいはライブやイベントに行けると思っていたので不完全燃焼感もある。

 

そして置いていかれることが怖いのだ。

オタク的に言えば私は漠然と『エイトラがいる世界線』でずっと生きていけるような予感に甘えていた。

今までは公式という窓口があることで、彼らがSNSに姿を見せなくても健在であることや活動を続けていることが確認出来た。

だがこれからはそれが無くなり、いよいよ彼らのことはどこかで元気に過ごしているはずだと信じるほかなくなる。

メンバーだけが知る零くんの思い出話に触れられることももう無い。

彼らの姿はイラストやCG(ここでは敢えてそう表現する)でしか知らないから、例えどこかですれ違おうとも誰かの写真に写っていようともそれを彼らだと認識する事はできない。

彼らがこの先ずっと国内に留まる保証はないし、私は世の中の膨大な音楽から耳だけを頼りに彼らを探し出せるわけがない。

彼らは新しい世界に向かい、そして何も持たないただのファンである自分は新しい音楽活動を応援する術もなくここに立ち止まる。

『エイトラがいたけれど今はいない世界線』ではこれまで当たり前にあったものが全て無くなることになる。

この先大好きなEIGHT OF TRIANGLEの『これから』を見届けられず、エイトラの新しい音楽や声や言葉のなにもかもに触れられない世界に放り出されるのが辛く、そして怖い。

 

楽しかった思い出に寄り掛かるにはもう少し時間がかかりそうなのだが、そうも言っていられない。

彼らがエイトラとして存在してくれるのはあと半月もない。

せめて今までの感謝の気持ちを手紙に綴るくらいはしたい。

だけどそれが彼らの手に無事渡るかすらもう分からない、無力なオタクに知る術無し。

いってらっしゃい、ありがとう、さようなら、またいつか。

書かなきゃならない、時間がない。

贈るべき適切な言葉も判らないのにね。

 

 

どうかこれから彼らの向かう先が明るく幸せなものでありますように。

病気で苦しむことがありませんように。

苦しいとき、悲しいときに側で支えてくれる人がますように。

沢山の笑顔に囲まれて生きていますように。

人生に絶望することがありませんように。

 

 

しがないオタクはいくら聴いても擦り切れることのない電子の宝物を聴き続けます。

彼らの音楽で季節を感じて、やっぱりいい曲だよね!って言い合って。

ツイッターの通知はそのままに。

いつ戻ってきてもすぐお帰りって言えるように、確証のない希望にすがったままオタクは宙ぶらりんで漂います。